ということで、僕が、これはおそらく触手を表現したものだろう・・・と思っているものを、さらに2つご紹介します。
まず1つ目。またまた仏教の表現になりますが、それは「千手観音」です。背後に千の手を持ち、それを民衆の様々な願いをかなえ、苦しみを除くのに「使う」という仏です。千本の手がある。・・・人の姿の仏としては、かなり不自然な形だと思いませんか?でも、触手を現したものととらえれば、それは正しく、また自然なものだといえます。それを誰の目にもわかりやすく、あえて「手」として表現した。まず触手ありきで、その意味を、仏の意図を現すために、手の形で表現したのだと僕は思います。
そしてもう1つ。ギリシャ神話に登場する「メデューサ」。ご存じですよね。蛇の頭髪をもつ怪物です。相手を攻撃することに特化して使う触手を、蛇になぞらえたと考えてみてください。かなりわかりやすい表現だと思いませんか?
しかも、メデューサの攻撃を思い出してください。メデューサに遭遇したものは石に変えられて命を落とす・・・全ての触手を絡め取られると、人は身動きできなくなり、全ての臓器の活動も停止して死に至ります。これを「石にされる」と表現したのではないか・・・。もうお気づきでしょうか、それが正しいとすれば、先にご紹介したインディアンの伝承の悪霊と、全く同じ目的、全く同じ方法で触手を使う姿が浮かび上がります。片や身体をもつ怪物。片やオーブだけで存在する悪霊。地域も時代も民族も全く異なりますが、表現しているものは同じ・・・。そう思えないでしょうか?
さて、ここで、あなたにこの話をもう少し身近に感じてもらうことにしたいと思います。ということで質問です。さて千手観音の手の数は・・・いったい何本でしょうか?