光るオーブと光背の意味。

もし、あなたがオーブの変化の過程を見ることができたなら、例えば仏像の背中の飾り・・・光背の様々な造形が、実は創作でも光を表現したものでもなく、オーブの変形のある段階の様子を、とても忠実に描写した「写実的」なものであることがわかるはずです。

 

しかし、では逆に、人にもあるものをなぜ仏像にわざわざ付けたのでしょうか? おそらくそこに「光」の秘密があります。オーブが光背の形になることは当たり前で普通のことだけれど、それが強く光ることが重要で、だからこそ仏像の光背は金色です。金色に光らせることで、人との決定的な違いを強調したのだと思います。一方、海外の聖人画は形や変形の過程は省略して、光ることだけに主眼をおいて描かれています。いずれにせよオーブが強く光ることが聖なる存在を象徴するものになっています。ただ、なぜこのような表現の違いがうまれたのか、その理由もまた機会を改めて考えたいと思います。僕は、おそらく現象が「見える」人の割合が地域や時代で違っていたのだと思います。

 

でも、ここにもう1つ大きな問題があります。それは「オーブが変形するとか、人に触手が生えるとか、そんな話は今まで1度も聞いたことがないぞ! いい加減なこと言うな!」というあなたの心の声です。