「見える」人達だって努力不足。

かつて地球は平面で、全ての星々は地球を中心に周っていました。また、宇宙を構成する元素は全部で4種類というのが長い間、世界の常識でした。

今ではゲームの設定にしか出てこないような話が、過去の、ある一時期には、正しい科学として人々認識されていた。そんな「事実」はいくらでもあります。

このような現実と虚構の転換は、現代でも起こります。例えば「異次元」は平成の半ば頃まではオカルトの筆頭で、話題にするだけで白い目で見られたけれど、今、最も有力とされる宇宙理論によれば、11もの高次元の存在を前提にしなければ、宇宙は存在しえず、科学者達はしぶしぶこれを受け入れています。・・・まぁオカルト的な異次元と宇宙論の異次元はちょっと感じが違いますけど。それでもこの20年間ほどで科学の「異次元」感は劇的に変化したといえます。

とはいえ、僕は、だから「霊」だっていずれは科学になるはずだ・・・と、言いたいわけじゃないんです。僕は、霊感があると自分自身では思っていて、自分の目で見たり感じたことは信じてますが、それでも世の中の霊への理解が、最終的にどう決着するのか予想も想像もつきません。

ただ、仮にこの先、霊について何かが証明されたとしても、それで今現在の霊に対する科学のスタンスを非難することはできない。だって霊が「存在する」ことを証明できるチャンスは本来たくさんあるはずなのに、これまで誰も成功していないのは、客観的にやっぱり変です。

 

「いるいる」「必ずいる」「自分には見える」という話は多いけれど、机上に乗せて、しっかり検証できる証拠は1つも示されない。歴史上、これほど沢山の霊の目撃談や、写真や動画があるのに、どれも状況証拠ばかり。僕は、これはまた逆に、霊を信じる人達、見える人達の努力不足だと思います。絶対に。

要は科学も、霊能者も、双方、いずれもおかしい。これが、ずっとずっと続いているのだと僕は思います。